今私が赦せてるとか、赦せてないとか、コースをうまく実践できているとか、できてないとか判断する事ができるのはたった1人、聖霊だけ。その責任は聖霊にある、イエスにあるから、自分独自で今の自分のコースの、というか目覚めの歩みはどういう状態だって判断するのをやめること。
自分がどういう段階にいるとかいうのを判断する能力が、まずないという事を認める。
何もする必要がない、私のこの目覚めのプロセスがどうなのかってジャッジする必要がない。自分でこの目覚めの道を責任をもって歩んでいくぞ、とか言う必要がない。何もする必要がない。全ての責任は聖霊にある。
私は聖霊に助けを求めて、その助けを受け入れる、そこにのみ私の責任はある。
ただただ、私は自分がいかに助けが必要な存在なのか、と言う事を認めて、助けを求める。ここだけ。助けを求めたら、彼は助けてくれてるに違いないのだから、助けの光をほんの一粒でも、一筋でもいいから、今その助けをいただいていることを認めて受け入れる。
ここだけが私たちの責任。あとは全責任は聖霊にあるから、自分で責任を負おうとしない、責任を取ろうとしない。そうすると、文字通り何もする必要がないんですね。
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