奇跡講座/奇跡のコース実践 本当に深く癒されるため「恐れ」を薄めず明確に認める。愛と助けを求める声に、愛と助けを与える

大橋のりこ)聖霊はずっと導いてくれてるわけだから、じゃあその聖霊と一緒に、自分の中がいかに泣き叫び、絶叫かっていうことを、自分の泣き叫びのためにも見てあげようじゃないか。
助けてあげたい、私は是非とも。自分の助けを求めている部分を助けてあげたい、聖霊と一緒に。自分が自分の味方になる。
これやっとできる、できていくとこなのかも知れないとかね。

Aさん)そうだなって思います。

のりこ)ね。いかに自分が自己憎悪していて、いかに自分が自分に、訂正不可能な罪を見ているっていう事とか、無価値性を見ているっていう事を、聖霊と一緒にね。これを信じちゃってるから泣き叫んでいるわけだから。

泣き叫びが癒されるためには、これがちゃんと根元から単に認識されて。見つめ切る必要があるわけじゃない、闇と一体化して見つめ切る必要があるわけじゃない。ただそういう絶叫のもと、こういうものが信じられていて、ずっと温存されていた。とんでもない苦しみ悲しみを伴った罪悪感、無価値観でした、欠乏感でした。

もうこれが全くの誤りなんだったら、あなたによって洗い流される事を受け入れたい、私はこれが誤りだってことを受け入れます、意志します。

私のYoutubeの公開動画の中で、恐れとは何なのかっていうと、聖霊から見た恐れは、愛と助けを求める懇請なんだ、愛と助けを求める叫び声なんだ、っていう風に一回解釈し直しましょう、っていうのがテキストに書いてあって、それをこう、読んでいるんですけれども。
恐れとは愛と助けを求める懇請なんだ。自分が恐れを感じたとき、自分が罪悪感を感じたとき、無価値観を感じたとき、これは私の泣き叫びなんだ、無価値感、罪悪感、欠乏感と、それについて絶叫している私の泣き叫びは一つなんだよね。
罪悪感感じたとき、何かモヤッて触れたとき、自分は間違いなく泣き叫んでいることを認める。
これはその、誤りが訂正されるのに、とても重要な鍵なんだ。すごく重要だと思いますね。

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